映画「ベニシアさんの四季の庭」感想

映画 ベニシアさんの四季の庭 オリジナルサウンドトラック

シネスイッチ銀座で鑑賞。映画館のそばに行ってビックリ。新型発売で賑わう同じ銀座のアップルストアに負けない位の凄い行列なのです。それも妙齢のご婦人ばかり。ここは座席番号を大きな文字で椅子に掲示したりなど、シニア向けの工夫をしている映画館でもあり、作品もそれに合わせて選択しているというのもあるのでしょうが。

元は英国の貴族のお姫様ベニシア・スタンリー・スミスの、京都の大原の古民家で営むハーブに囲まれた暮らし。日本の文化と英国人の伝統の知恵の融合の素晴らしい自然を大切にした生活・・嗚呼、憧れちゃうわ、私(o|o)・・というご婦人方が多いらしい。

もし日本人のオバサンが同じ事をしても誰も見向きもしないだろう。

自分の人生に波風が多い人にとっては、特に波乱万丈とは感じないだろう。とある老人ホームで、90歳の老女が「苦労は、しました」とさらりと言った。淡々さらりと。この老女のような人生こそが波乱万丈で、だが映像化される事もなく、ひっそりと消えていくのが決定している。それが大半の人の人生なのだ。それこそがまさしく波乱万丈にふさわしい幕引き。

だからといって、ベニシアさんが悪いのではない。
”ベニシアさん”を作り上げたNHKエンタープライズの勝利なのだ。


女性は貴種流離譚が好きだ。薄幸の女性が好きだ。貴族を嫌っても「真面目な貴族はいます」というベニシアさんは伝統の継承そのものを嫌悪しているのではない。だから「英国の伝統的な暮らし」という売りが嘘にならない。整合性が取れている。英国からインド、さすらいの末に日本へ。東京ではなく京都に落ち着く。それも同じ外国人のすすめで。

銀座松屋

銀座松屋のベニシアと仲間たち展も盛況

なんというか、複雑な思いがする。外国人が好む”日本”というものは、存在しない”日本”なのだ。畳だの作務衣だの禅だのと、現代の日本や日本人とはまったくかけ離れたものに関心を寄せている外国人の作り上げた”日本”に彼らは住んでいるのだ。

外国人の薄い色の目を通してみた日本の魅力

外国人に太鼓判を押されて初めて見下ろす自分の足元。そこには日本古来のハーブであった山椒や紫蘇や山葵は生えておらず、ラベンダーやミントやローズマリーが群がっている。異国の香りに異国の夢がふくらんでいくのだ。己の生国ではなく。

スクリーンは、連綿と大原の四季とベニシアさんと家族を映していく。この夫自体が精神を病んでいるのではないかという印象を受けてひやりとする。どこかいびつで怖い人に見える。あくまでも画面からの印象なので、本当はどうであるかは解らない。だが義理の娘への吐き捨てるような言葉の冷たさに、ベニシアさんの苦労がしのばれる。

ベニシアさんは”ベニシアさん”になって、本当に幸せなのだろうか。

いつかあの老女と同じ歳になった時、さらりと「苦労はしました」と言う人になるのだろうか。それはともかく、無数の”ベニシアさんに憧れる淑女”の大半は、ベニシアさんの不幸に同情出来る程度の幸福な人生を送っているのは幸いだと思う。

ハーブを植えてみるとわかる。虫がいっぱい寄ってくる。あっという間に庭を侵食する。それを解った上で”ハーブの庭”を愛せるなら、その人は憧れの”ベニシアさん”の生活を甘受する事が出来るのだろうな。

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