レオナール・フジタ展

戦争と画壇の保身が、ひとりの芸術家を祖国から追いやった。祖国に裏切られた芸術家は若き日に暮らした国を終の棲家とした。
慌しく時が過ぎてしまい、開催ぎりぎりで駆けつけた展覧会。
レオナール・フジタ、藤田嗣治の自画像がまずは目に飛び込んだ。器用に針を操るフジタ。今回は土門拳の写真が多く展示されていたのもうれしかった。写真からも見てとれるように、彼は自分の空間を自分の好みに飾り付ける事に多くの愛を注いでいた。作業をするフジタの手首には、あの有名な腕時計の刺青が見え隠れしている。人に時間を聞かれると、おもむろに袖を捲り上げて見せたという。茶目っ気のあるフジタの一面を感じさせる、あの刺青。刺青をするなら、こういう粋なものでなくては。
時代を追って展示された絵。彼の代名詞の乳白色の肌の乙女達に、時が灰色のベールをかぶせている。長らく秘密だった乳白色の正体は、近年の科学分析でシッカロールだと解明された。科学は不粋だ。

マケットを見た。
今回はこれだけでも来た甲斐があった。
かつてアトリエに置かれていた小さな家の模型。彼の手になるマケットと呼ばれる家の中は、とても簡素だ。華やかな巴里の社交界で一世を風靡した画家としては、あまりにも。だがそれが本来の彼なのかも知れない。本来の人の望みなのかもしれない。手の届く場所に欲しいものが過不足なくある。それだけで人は幸福でいられる。そしてどこよりも平穏なままでいられる場所。その理想を形にしたような。
模型の壁にかけられた絵も本物の芸術だ。フジタ自身の筆になるのだから。
簡素だけれど最高に贅沢な家でもある。
昔、ノートに家の見取り図ばかりを描いていたのを思い出す。小学生の女の子の想像する家など他愛なくて、寝室や台所、応接間などを定規で線を引いて描いていた。現実の家は何ひとつ自分の自由には出来なかった。頭ごなしに支配され、ベッドの位置もカーテンの色さえも決めさせてもらえなかった。子供が生意気をいうなと一蹴された。”自分の部屋”なのに。それ以来、私は自分の住みたい家を描くようになり、やがてすっぱりと諦めて、自分の居場所に関心がなくなった。部屋を好みに飾りつけようとも思わなくなった。だからどこでも住めるようになった。それはそれで良かったのかも知れない。

小さなパネルに描かれた子供達。様々な職業、中には職業とは言い難いものもある。可愛くユーモラスで、時には怖さもある。乳白色の肌をあます所なく晒した乙女達を描いた画家が、今ここでは子供を題材としてる。子供達を見る画家のまなざしは柔らかい。
阿部徹雄の撮ったフジタの写真。
土門拳の写真は芸術家としての気迫に満ちたフジタを写していたが、阿部徹雄の写真はひとりの人間としてのフジタのような気がする。和らいだ表情が多い。君代夫人との仲睦まじい写真もある。
実はずっとフジタに妻がいると思いもしなかったので、衝撃を受けた写真でもある。当たり前だし知識としては知っていても、絵を見る限り、そこにはフジタしかおらず、どこまでも彼のみの世界であったから、ずっと孤高のままでいたような気がしていたのだ。頭と心が一致しない時もある、それもまた絵を見る面白さでもあるが。
いつか、ランスのフジタが手がけた礼拝堂を見てみたい。
(Bunkamura ザ・ミュージアム)

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