英国の夢 ラファエル前派展

ラファエル前派

リバプール国立美術館は、リバプール市内及び近郊の3美術館などの総称で、ラファエル前派の傑作を有する美術館として世界的に知られている。リバプール国立美術館の所蔵品から、ラファエル前派及びその追随者の油彩・水彩など60数点を紹介し、近代における英国美術の「英国らしさ」を「英国の夢」をキーワードに浮き彫りにする展示だそうだ。

ジョン・エヴァレット・ミレイやエドワード・コーリー・バーン=ジョーンズの名作を見られる良い機会だった。大好きなロセッティは2作だけだったけれど、それ以外にも見るべき価値がある絵が多くあった。

聖書や神話を題材にしながら、そこには19世紀の不安がある。

かつての名画達は厳然であり峻厳と確固たる威厳を見る者に感じさせた。君臨し率いる、いにしえの王そのものだった。大いなる存在で、鉄壁の城砦の如く壁からこちらを見ているような絵だった。

同じ題材を扱っても、そこには何かしらの揺らぎがある。それが絵の弱点なのではない。生の息遣い、人が当然持ち合わせている漠然とした感情のゆれ。それらが19世紀の光と影の間にあったものを伝えてくれるような。それらの絵の前でなら、私もかつての名画の前では出来なかった深い呼吸がためらわずに出来る。

そこにいるのは大いなる存在ではなく、哀しみも痛みを感じ、儚く脆く矛盾に満ちた人々なのだ。何かを信じても、信じたものが変質してしまう、信じた自分自身が変わってしまう事もある、常に心の何処かでそれを意識している。真っ直ぐな視線も交錯する視線も、あます事無く封じ込める事で、絵は幾つもの謎を提示してくる。答えはひとつではなく、正義は多様化していく。

だが、難しい言葉はそこで終わりだ。

キャンバスに溶けていく光、白い肌、なびく髪はひたすらに美しい。アレゴリーよりもレトリックよりも。最後に残るのは美なのだ。どんなに言葉を連ねようと、目の前のマデラインは美しい。

声高に何かを語るのではなく、静かに穏やかに語る。声でも音でもないものたち。




Bunkamura ザ・ミュージアム

挿絵で有名なケイト・グリナーウェイの絵も1点、個人的に嬉しい。モロー同様、ストラドウィックの精密な線で描かれた衣服と滑らかな肌の対比は実物でしかわからない。

bunkamura

鑑賞後、ロビーラウンジでピスタシオのムースと珈琲。ケーキセットは半券で100円引きになります。


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タグ:絵画 美術館

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