映画「甦る三大テノール 永遠の歌声」感想

偉大なる三人が一堂に集った夢の祭典とその後を綴るドキュメンタリー
日本人には分かりにくいかも知れないが、欧州のサッカー熱は物凄い。W杯の時期にフランス人と仕事をした事があるが、彼等は試合が始まるとそわそわとし出して、他の事には身が入らない。とにかくTVのある場所へ移動しようとする。「サッカーは人生だ」と当たり前のように語る人々。サッカー=人生を邪魔する事は許されない。たとえ私の仕事や人生を邪魔しようと、そんな事は眼中にないのだ。
パヴァロッティはユヴェントス、カレーラスはFCバルセロナ、ドミンゴはレアル・マドリーと故郷愛も含めての熱狂的なファンだった。
時は1990年、ローマではサッカーのW杯が開催されていた。白血病からの奇跡の復帰をとげたホセ・カレーラスを祝う為に、パヴァロッティとドミンゴがかけつけた。完璧で美しい歌声のホセ・カレーラス、緩急自在に豊かな表現のプラシド・ドミンゴ、そして誰もがその声に魅了されるルチアーノ・パヴァロッティ。それぞれが偉大なるテノール、だがその音楽への姿勢や信条は異なり、同じ舞台に立つ事はないと言われていた。
カレーラスへの友情とサッカー愛が可能にした舞台。その影には、三人の溝を柔らかに埋めていった名指揮者であり人格者であるズービン・メーダの存在があった。西ドイツとマラドーナ率いるアルゼンチンとの決勝、沸き立つローマに、三人の歌声への歓喜と熱狂が重なっていく。
当時を振り返る関係者(老ラロ・シフリンの姿に映画好きとしては感激)。カレーラスとドミンゴ、すでに亡きパヴァロッティは未亡人が代弁する。30年前のあの奇跡の舞台を。たっぷりと三人の歌声を聴かせながら、舞台の映像の合間に人々の証言は続く。成功するとは当人達は思っていなかったようだ。会場には人があふれ、中継を多くの人々が視聴した。
オ・ソレ・ミオの伝説のトリル合戦。後にオペラという高尚な世界を俗化したと言われたコンサートも、この初演は本当に一期一会の素晴らしいものだった。あまりにも成功してしまったが為に「三大テノール」は商売のネタにされてしまったのだ。
興行師の作り上げた世界ツアー、楽譜をチラ見しながら歌う三人の様子にも、初演の時のような真摯な態度は薄れている。それでも三人を世界中が歓迎し、その歌声に酔いしれた。パヴァロッティ亡き後も他の歌手を加えての「三大テノール」が企画されたが、さすがにカレーラスもドミンゴも断った。
「トゥーランドット」の「誰も寝てはならぬ」
日本ではフィギュアスケートの荒川静香選手を思い出す人が多かろう曲。この名高いアリアを歌うパヴァロッティが素晴らしい。クラシックとして異例のレコード売上を記録したというのも頷ける。
「私は勝利する」と繰り返される歌詞が、まるでこのコンサートの成功を歌い上げているかのようだった。
輝かしい成功と、その後の穏やかな凋落と、パヴァロッティの葬儀と、今だから甘美な思い出として語られる出来事。カレーラスが最後にパヴァロッティを尋ねた時、飛行機の中で食べるようにと、パヴァロッティは自らサンドイッチを作ってくれたそうだ。たっぷりのプロシュート(生ハム)を挟んだサンドイッチ、良い話だ。
希代の歌声を、ただ聴いているだけで幸せになれる映画。
~歌唱楽曲~
星は光りぬ、妙なる調和(歌劇≪トスカ≫) プッチーニ
誰も寝てはならぬ(歌劇≪トゥーランドット≫) プッチーニ
ありふれた話、フェデリコの嘆き(歌劇≪アルルの女≫) チレア
アメリカ(映画『ウェスト・サイド物語』) レオナルド・バーンスタイン
バラ色の人生 エディット・ピアフ
ニューヨーク・ニューヨーク ジョン・カンダー
ムーン・リバー ヘンリー・マンシーニ
オ・ソレ・ミオ ディ・カプア
マイ・ウェイ ポール・アンカ
帰れ ソレントへ クルティス他
ニューヨーク公演では、フランク・シナトラ、アーノルド・シュワルツネッガー、元大統領のブッシュ夫妻など著名人が会場に姿を見せた。
キャスト
ルチアーノ・パヴァロッティ
プラシド・ドミンゴ
ホセ・カレーラス
ズービン・メータ
ニコレッタ・マントヴァーニ
ラロ・シフリン
監督 エルマー・クルーゼ
脚本 アクセル・ブルゲマン
作品情報 2020/ドイツ/ビスタ/94分/英語・イタリア語
原題:THREE TENORS VOICES FOR ETERNITY 30TH ANNIVERSARY EVENT
提供 dbi inc.
配給 ギャガ
ル・シネマの再上映にて。

パヴァロッティの逸話を思い、帰りにドゥ・マゴでサンドイッチを買ってしまった。プロシュートではなかったけれど。海老とたまごのウィエノワ。

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